院長の日記

日々の出来事を日記風に綴っています。


  最高の人生の見つけ方3/3;死にはしない 2008/7/23


そもそも「死」はあり得ないと僕は思っています。
「自分」は、今肉体に宿っていて、肉体という物質存在を通して、
物質化した生命現象を体験しているのであって、
「自分」そのものという本来の意識的存在は無くなりっこないのです。
それを教えられたことがなく、自覚しようとしたことがないから、
当り前の感覚なのに、知らないだけの話だと思っています。
瞑想は何のためにするかというと、そのことを思い出すために、
そのことを体験として検証するために行う心理的な行為でもあるのです。
人間には「見える世界」と「見えない世界」がある。
「見える世界」は、川の流れの前に立って、時々刻々と変化する定点を見ている世界。
「見えない世界」は、川全体、川の存在そのものを見ている世界です。
人間は、必ず肉体的な死を迎えます。それは進化のプロセスです。
だから大切なことは、自分が今どのように生きているか、
という自覚を持ち、意図的に生きることであると思うのです。
『最高の人生の見つけ方』は、神が与えてくださった、
「体験の時間」という宝物をどのように創りだすか、
ということであると思います。
それはまた「永劫の時」でもあると思います。




  最高の人生の見つけ方2/3;がんで死んでもかまわない、っか? 2008/7/16


現代社会では、3人に一人はがんで死にます。
がんで死ぬことになったということは、結果から見るとがんについては、
がんで死ぬような人生の生き方以外のことはしてこなかったとも言えます。
3人に1人ですから、極めて当り前、超平均的な死に方です。
私は、だから「それがどーした」と思うのです。
その現実に対して、医師や医療機関がどれほどの成果をあげているか。
医者は病人を、がん患者を助けなくてはならない。
しかし、助けられない患者のほうが圧倒的に多い。
やらなくもいいことまでやる医者もいます。
この現実には、無力ささえ感じます。
そのとき、医者は何を考えればよいのか・・。
余命、カウントダウンの宣告という非情なことで終わるのか。
あるいは避けられない死を、どのように医師あるいは
それを超えた者としてとして考えるのか。
救えないものをどう救うのか。そもそも救いとは何か。
『最高の人生の見つけ方』でそれを教えたのは、
医者ではなかった。看護士でもなかった。
気づいたのは患者自身だった。教えたのは患者同士であった。
生きるとはどのようなことか、病むとはどのようなことか。
病みを克服するということはどのような行為か。
そもそも自分の人生とは何であったのか、
知人、友人、家族とは何であったのか、
愛するということはどのようことか、
許すということはどのようなことか、
を教え、学び、再び人生を創造する。
死を宣告するよりも、「生きられる時間のあること」ことに気づかせたのは誰か。
「それが何か」を思い出せた者はだれか。
医者でもなく看護士でもなかった。患者自身であったのです。



  最高の人生の見つけ方1/3 2008/7/9

先日、映画『最高の人生の見つけ方』を観てきました。
超大金持ちの実業家(ジャック・ニコルソン)と
極めて記憶力の優れた能力はあるが、
経済的にはソコソコの車のエンジニア(モーガン・フリーマン)。
その二人が同じ病室になり、がんであと6ヶ月の余命と診断される。
人生においてやり残したことは何か・・を書き出し、
それを実現するために残された時間を「生きる」というストーリーです。
「そうでしかない」あるいは「このようでしかあり得ない」と
思い込んでいて、自らを制限して生きてきた人生を振り返って、
それが「いったい何であったのか」を知る時がきます。
僕は、この現象は誰にでも殆ど平等に必ず起きるように思います。
殆どの人の場合は、死の直前です。あるいは死のプロセスにおいてです。
でも私の経験では、死の直前でもそれを問わない人、
問うことを知らない人、疑う人もいます。
何人に一人か分かりませんが、死の直前ではなく、
生きている内にそのことを知り、創造的に生きる人がいます。
自分の人生の目的は何か、今の自分の人生の目標は何か、
それはなぜか・・・を書きとめ、理解し意識して生きている人がいます。
あと6ヶ月の命!と言われたときに、
あなたなら、どのように生きるのでしょうか。
いや「明日死んでもいい」という今日一日の生き方を決めて、
今日という二度とやってこない貴重な時間を意識して、
1日を味わい、生きる人はどのくらいいるのでしょうか。
「それ」はたった一つのこと、ホンの些細なことでもいいのです。
ホンの些細なことでも、実はよく考えるとかけがえの無いものかも知れません。
「野に咲く一輪の花」の意味深さ、完璧さに気づくことは、
生命を俯瞰的に観る機会を与えてくれるように思うのです。



  つぐない3/3;救い主 2008/4/22

人間として生まれ、何のためにこの世に来たのか、何をどのように体験したくて「ここ」にやってきたのか。
本来、「罪」という「存在」や「実体」などというものはありません。それは、人間が生み出した「幻想」でしかありません。でもなぜ、そのようなものを人間は生み出すのか・・。
私は、人間は罪の意識を感じ、「つぐない」を心に決め、それを通して何かを体験する必要性を感じているからなのだと思います。その中に生きる意味を見出すために、あるいは人生において感動をしたいからなのだと思います。実際この映画を観に行く人々がそうです。
私は、罪の意識を感じることが良いとか、良くないとかということを言っているのではありません。「それ」は、自分があるいは私たちが自ら創り出したものだということを知ったら、生き方が変わるだろうと言っているのです。それを理解することによって、人生をより主体的に選択的に生きられるようになるからです。
映画の主人公は、その人生の秘密を知り、人生の意味を変える知恵に気づいた人でした。
罪の意識から離れて「意図的に創造的に生きなさい」という御言葉は、真実だと思います。
自分が、人生において何をしていたのかに目覚め、真の自分が何であったのかに気づくときに、自分にとっての「救い主」とは誰のことを言っていたのかを知るのかも知れません。
愛すべきは、はからずも「罪」という意識を生み出し、それを取り戻すためつぐなうために、人生により深い意味、愛や共感や思いやりや一体感を生み出そうとする、「人間という存在」なのだと思います。



  つぐない2/3;道 2008/4/21

この映画の根底にあるものは、「罪の意識」と「つぐないの行い」と「許し」というキーワードだと思います。
私が、人生において医師という道を選択したのはなぜか・・。自分で感じるのですが、おそらく過去世か幼児期か分かりませんが、自分に罪の意識を感じたからではないかと思います。自分を許せなかったから、自分を許すために、人の痛みや苦しみと共に生きる道を選んだような気がします。
そして、診療において、自分を責めて苦しむ人々に、自分をそのように責める必要のないことを伝えているのです。矛盾しているようですが。
来る日も来る日も、人間の精神的、肉体的な苦しみと対峙する心療内科医という職業。実は、内心この仕事を辞めたくなることがあり、逃げ出したくなることもあります。しかし、このようにしてやってこられたのは、その道の中に、苦しむことの中に、一条の光があったからだと思うのです。
「つぐないの行い」の先には、許されたという体験が待っている・・と人は期待します。
しかし、「自分が」自分を許さない限り、本来それはやってきません。そのためには、自分が自身を許す物語を作ることと、それを実現することをしなければなりません。
この映画の主人公ブライオニーは、看護士というつぐないの行いだけでは、実現しないことを知り、内面的な人生の意味を生み出そうとしました。創作という活動です。
人生において、過去の事実を変えることはできません。人間にできることは、過去の事実をどのように受け止め、「今」という与えられた貴重な時間を、自分の人生をどのような意味として生み出し、それを体験的に実感として生きるかいうことでしょう。

人間は、自分を許せない、あるいは許されていないと思うから、自分を許そう、あるいは許されたいという道を求める。瞬間だけ、許し許されたというすばらしい体験がやってくるかも知れませんが、すぐにまた自分や人を許せず、許そうという道を歩んでいる。そんなゲームの繰り返しが、人生なのかも知れません。
  おそらく、許されたという体験ほど素晴らしい体験はないから、この世ではなかなか続かないし、常識を遥かに超えたことだから、周囲に影響されてすぐにフツウに戻ってしまうのでしょう。
  しかし、真摯にその道を歩み、一切を廃して人生に望むことは、崇高な価値のある生き方であると思います。生涯をかけて、そのテーマに取り組み、彼女が出した結論を語る後半のスクリーンの重みはさすがでした。



  つぐない1/3;苦しみと共に 2008/4/20

先日、映画『つぐない』を観てきました。映像と音楽がとても美しい映画でした。またテーマが深遠なのですが、私にとって身近な問題でもありました。
ストーリーは、劇作家を夢見る少女ブライオニーが、ある偽りの証言をすることから、自分の姉とその恋人の人生を不幸のどん底に陥れることになります。
成人したブライオニーは看護士になり、人間の苦しみを救うという道を選択します。人間の「痛みと苦しみと共に生きる」苦しみを自らに課して、かつて犯した罪をつぐなおうとします。
結局、彼女は作家としての人生を選択し、そのつぐないのために一生涯をかけて、苦しみながら「つぐないの行い」として、この作品を書き上げます。作品を生み出す行為そのものが、つぐないを果たし、彼女を自らの救いに導くものでした。

自分は罪を犯した、自分は人を傷つけてしまったという思い込み、その後悔の念を抱いて、自分を責めながら、つぐなうための生き方を模索する・・。
このことは、日常の人生において、私たちの誰もが心の中で引き起こしている光景のように、私には思えます。ただ多くの人々は、それが意識化されずに、人生をやり過ごしていることが多いのではないかと思いますが・・。しかし、潜在意識は確実に働き、その人の人生に、生き方に、人間関係のあり方に影響を及ぼしていることは明らかです。
人はしばしば(というよりも誰もが)、人を傷つけたあるいは傷をつけられたと思い、意識的あるいは無意識的に自分や相手を責め苦しみます。




  犬と私の10の約束3/3;なぜ、犬なのか 2008/4/15

なぜ、犬が人を癒すのか・・。なぜ、人が犬で癒されるのか・・。
答えは簡単だと思います。犬には人間が持っている複雑で余計な「理性」がないからです。
  他の動物には備わっていなくて、人間には備わっているのですが、それが逆に作用して不幸になっている。いっそのことそれがない動物から矛盾した能力を使っている人間を見る鏡として動物がある、と考えてみるのも一つの手であると思います。
人は、あまりにも「理性」で人を傷つけ、自分に傷をつけるから。傷が癒えない。平和に暮らせない。
いまの人間は、理性の使い方を知らない。理性は、よりよく生きてゆくための「道具」なのに、人間はそれを忘れてしまったのだと思います。
ハッキリと経験的に思うけれど、理性では人の心の傷は癒されません。いくら理性的に学問を深めても、人間や動物を心理学的に分析してみても、決して癒しの道は開かれません。そこには癒しの道はありません。それは精神医学の歴史をみれば分かる歴然とした事実です。
癒しは、その人の内面的なあり方と現実的な行為から結果として生まれる感情的な体験です。科学としての医学や学問を超えた問題なのです。
逆に、理性にこだわろうとするほど、結果としてあまりにもしばしば人の心の傷を深める。
僕は、来る日も来る日も、臨床の現場で人の悩みや苦しみにつきあっているから、より分かるのですが。余計な潜在意識的な人の「理性」が、人の「心」を悩ましている。
人は、なぜ悩み苦しむという体験をするのか・・。それは深いところで、魂がその理性のあり方が違う!という叫びをあげるから、悩み苦しみという感情として感じているのです。
国境に線を引き、奪い合い、戦争やテロを引き起こす。人種や出身を差別する。宗教のドグマが違うといっては相手を攻撃する。政党間で自分たちだけが正しいといいセクトを作る。この方が自分たちに便利だからといって生態系を破壊し、環境を汚染する。ぜんぶ人間のある理性が引き起こしている現象です。
決して理性が悪いと言ってはいません。人間が理性の用い方を忘れたと言っているのです。
本当に癒しを求めようとするならば、理性の道を離れたほうが早く実現する。直接、感性や感情の世界を対象としたほうが、目的は早く達成される。それは身体感覚を使うということ、身体で求める感情を味わうということです。
なぜ、犬が人を癒すのか。お分かりでしょう。
患者さんが、クリニックの待合室にただ横たわっている「ソックス」に瞬間的に癒されるのは、犬は言葉をもたず、人間がお互いに傷つけるような理性を持たず、ただ素直に生きて見せているだけの話だと思うのです。
今週も癒し犬「ソックス」は、人間が未熟にも裸足で歩くことの痛みを、和らげる役目をクリニックで果たしています。私は、「ソックス」の偉大なる能力にはただ脱帽です。




  犬と私の10の約束2/3;医師・生命・人生 2008/4/8

主人公の父親は、大学病院の外科医。犬が苦手な男。学会、地位名誉、手術の時間に追われ、娘の誕生日に「心の灯火」ロウソクを買って帰れなかった父親。
そんな彼が、将来を期待された大学病院の地位と名誉を捨てて、函館の街で開業をします。そのきっかけを作ったのが、主人公の斉藤あかりと犬の「ソックス」、それとあかりの彼氏でした。
  最後のシーンで娘が、自分のせいで父親が好きであって望んでいた学問の道と、地位名誉の道を捨てざるを得なかったのではないかと、父親に問います。もしそうなら誤りたいといいます。
父親は、大学病院の医療世界を辞めて「街の医者」になり、「一人の人間として」患者さんに接することによって、もっとより多くのことを学んだことを告げます。自分の人生の選択に誤りはなかったことを娘に告白をします。
名もない街の片隅(と言っては失礼、でもこの映画のキャラクターは誰もがそこら辺にいるような人々ですが)の「医師」が、娘と犬との生活を通して月並みかも知れないけれど、生きることに関する深い人生の哲学を学んだ、ストーリーがあるような気がします。
また、犬とともに生きることによって、「人間の視点だけから見た生命」をあつかう一般の医療をではなく、それを越えた医師としての在りかたを学んだことがあるような気がします。
僕は、かつて大学病院に学問が好きで10年間医局で学問と臨床と教育に携わっていました。精神医学教室で、精神病理学、ことに芸術療法の表現病理学を研究していたのです。 しかし、ありきたりの学問では人の心を癒すことの限界を感じ、先端の学問とその殿堂を捨てて、街の中で病める人間の中に身を投じ、彼らとともに生きるという道を選びました。また形にとらわれない医療を心がけてきました。
その体験や、いま自分が日々犬とともに生き、またクリニックで犬が患者さんを癒している姿をみて、今回の映画と重なって、よけいに心のそこから深い響きを感じました。
犬と接することによって、一般の医療であつかう人間という枠を遥かに超えて、生き物として、命あるものとしてどのように生きるか、また医療のあり方について学ぶことができます。
  そこに目を向けると、たかが犬、されど・・されど犬です。ホント、深いです。


 

  犬と私の10の約束1/3 2008/4/1

映画『犬と私の10の約束』を先日観ました。観ているあいだ、ずっと涙が止まらなかった・・・。お恥ずかしながら、若干目が腫れましたね。
函館、そこは僕の故郷、心と魂の帰るところ。現実を越えた癒しの世界。明治維新の夢見た戦士たち、数々の文豪の故郷、ギリシャ正教の処女地。僕の人生のすべてが発見される地。美しい町です。
最近、毎月一、二泊で函館に行っています。行ってなにをするか・・。ただ「静かに」しているために帰っています。函館山で、近くの美しい大沼公園で、神の化身「駒ケ岳」の麓で、津軽海峡の海が見える丘で、ただただ「静かに」して、自分の心の奥底にある「あること」に耳を傾けつづけています。
私にとって、その地、函館でロケされた犬の癒しのストーリー、映画『犬と私の10の約束』でした。
さらに実は、一年くらい前から毎週水曜日に受付嬢がクリニックに犬(ラブラドールとシェパードの掛け合わせ、黒といえば想像がつくでしょうか)を連れてきているのです。
彼女は、アニマルセラピー、ドッグセラピーに深い関心があり、自らその道の講師として活躍をしているのです。当クリニックは、なんと毎週がドッグセラピーのクリニックなのです。
で・・、私の「魂の地」函館と、ドッグセラピーのストーリーがあって、よけいに涙が止まらなかった・・。




  人生を変える心のサプリメント 2008/2/27

「生き方を決めて生きる」ということは人生において大切なことです。
生きる目的や目標を持って生きるのと、何となく生きるのとでは、人生の質が自ずと変わってきます。
また、目的や目標を紙に書いている人と、何となく考えている人でも結果が異なってきます。
人生は、一日一日の積み重ねとも言えます。
人生の目的や目標を立てたならば、毎朝それに向かって、 一日をどのように生きるのかを決めて、そのように時間を使うのと、 昨日一昨日の延長で一日を終えるのとでは、やはり結果が異なってきます。
私が、患者さんに「心のサプリメント」としてお勧めしている方法があります。
それは、毎朝一定の項目について「今日」をどのように過ごすのかを書き出して、一日の行動の献立を決めるものです。

『一日のスタートのワークショップ』
1.私は、今日健康に生きるために何をするか。
2.私は、今日美しく生きるために何をするか。
3.私は、今日どのような豊かさを手に入れるか。
4.私は、いま何に(または誰に)感謝し、何をするか。
5.今日最も大切な一つのことは何か、それを最高に楽しむために何をするか。
6.今日やらないことは何か。
*必ず毎朝上記について書き出します。
「書く」ことによって効果が出ます。
項目は、自分で工夫して結構です。
これを毎日繰り返すだけで人生は大きく変化してきます。

また、望みを早くかなえる方法もお教えしています。
1.欲しいもの、なりたい自分を決める。
2.潜在意識と感情を活用する。
3.目的と目標にそった学習を繰り返す。
4.他人の力を借りる。
5.目標、目的以外のことはやらない。
これについても書き出す習慣を持ちます。

人生はある意味で旅と同じです。
どこに行き、どのような体験をしたいのかを決めて旅をするのと、
行き当たりばったり旅をするのとでは満足度が異なります。
さて、あなたはどちらを望みますか?

 



  第7回日本抗加齢医学会 2007/7/25

20日(金)、21日(土)と京都で日本抗加齢学会があり参加しました。
会員はどんどん増え続け、5千人を超えたそうです。
1年の間に千人規模で増えています。それだけ関心が高いのでしょう。
出席者はほとんどが学者、研究者、医師などですが、
私は、主婦など健康に関心のある一般の方たちを11名
声をかけていっしょに参加しました。
前日に京都に入って、事前に勉強会をして、
朝から夕方まで学会に参加して、また夜に勉強会でした。
皆さんとても熱心に勉強され、感動モノでした。
医学者ばかりではなく、一般の方たちこそ重要な課題である、
超高齢化社会の問題について勉強をすることもいいですよ。

 


 

  環境医学 2007/6/27

環境汚染に基づく健康障害は深刻な問題になっています。
それによる健康障害は、一般に認知されているレベルよりもはるかに進行しているように思います。
「がん」という疾患一つをとって見ても、半世紀前には、20人に1人しか発症しなかった疾患でしたが、現在では3人に1人、さらには2人に1人は発症するであろうと言われています。
糖尿病の発症は、この半世紀で31倍になりました。
がんは、あまたある疾患の内の1疾患に過ぎません。
ぞっとするほど、いや絶望的なほどに健康が蝕まれている問題なのに、それに対する医学は非常に遅れています。
「環境医学」という領域があり、研究がなされていますが、果たしてそのような方法論のみで、深刻な社会問題、いや人類の近未来の問題に対処できるのか・・。
答えは、「NO!」だと思います。
学者のための環境医学ではなく、生活者のための環境医学が発展しないと人類はもう危ない・・と思うのです。
もう一度、身辺の日用品など振り返って見ませんか?

 




  『イエスの棺』 2007/6/27

『イエスの棺』(イースト・プレス刊、シンハ・ヤコボビッチ等)を一気に読みました。
『ダ・ビンチ・コード』『ユダの福音書』をはじめ最近キリスト教あるいはその歴史に関する根本的な見直しをせまる書籍が出てきました。
『ダ・ビンチ・コード』はフィクションですが、『ユダの福音書』『イエスの棺』は事実であり、学問的にも信頼性の極めて高いものです。

私は、現代の日本及び世界の政治・経済のあり方と、歴史的な宗教は 根底で繋がっており、その価値観の見直しを抜きには、今後の世界の平和や地球環境の安定した状態を保つことは困難であろうと考えています。

イエスは、本当は何を伝えたかったのか、ブッダは何を説きたかったのか、そのことと、教会という構造や仏教世界の(ことに日本の)社会的な構造とは次元の異なったことのように思われます。

もうホンのわずかな時間で、人類全体が危機的な状態に陥り、その存亡を賭けた動きが始まります。

その時代を目前にして、「いま生けるイエス」はどのようなメッセージをこの書籍の中に託しているのでしょうか。


 

  アンチエイジング医学 2007/6/13

6月16日(土)17日(日)と
「第1回 世界アンチエイジング医学 日本会議」が開催されます。
米国アンチエイジング医学会(A4M)の主催です。
http://www.worldhealth.jp/index.html
いよいよ「アンチエイジング」も国際的になってきました。
7月の20日(金)21日(土)と
京都で「日本抗加齢医学会」が開催されます。
http://www.anti-aging.gr.jp/members/meeting/index.html
関心のある方はぜひチェックしてみてください。
私は、両者とも参加し、先端の情報を入手してきます。
高齢化社会問題は、日本ばかりではなく先進諸国がどこでも 抱えている大きな問題でもあるのです。





  点滴療法 2007/6/6

5月27日の日曜日に、「点滴療法研究会」というのが開催されました。

点滴で高単位のビタミンなどを投与することによって様々な症状や疾患を治療しようとするものです。
全国から40名くらいの 医師が参加されていました。
私はもう20年近く前から、分子整合栄養療法という分野に関心をもち、栄養療法をコツコツと手がけてきました。
しかし、点滴による栄養療法については非常に関心を持ってはいたものの、実際にどのように行えばよいのか知りませんでした。
今回、点滴によって慢性肝炎やひいてはがんも治療対象として非常に有効であることを知りとても勉強になりました。
点滴療法にも幾つかの方法がありますが、もっともスタンダードなのが「マイヤーズ・カクテル」というものです。本療法については近日中にクリニックで実施をしてゆこうと考えています。




  抗加齢学会 2006/5/31
19,20日と「日本抗加齢医学会」があり、
参加して来ました。
会場は、ホテルニューオータニで、参加者数は2日間で約2,000名でした。

抗加齢医学とは、いままでの現代医学とは全く概念を異にした医学です。
従来からの一般の医学は、病気を扱いますが、
抗加齢医学は、病気は扱わず、いかに若返るか、若さを保ったままでいられるか、いかにPPK(ピンピンコロリ)を実現するかという、予防医学を超えて非常に積極的な発想の医学です。
これから、日本が超高齢化社会になって行きますが、その時代のニーズにあった、医学会です。
ここ3,4年で急速に発展してきました。
会員数もあっという間に、もう4,300名を超えているとか・・。
破竹の勢いで発展しています。そのくらい一部の医師たちが、抗加齢という分野に関心をもち、自分たちの臨床に応用しようとしています。
研究内容もとても範囲が広く多岐にわたり、またそれぞれに非常に興味深いものがあります。
ホームページのURLは、
http://www.anti-aging.gr.jp/members/meeting/index.html
是非、チェックしてみてください。



  セロトニンとうつ状態 2006/4/5

このクリニックでは、サプリメントを用いたセロトニンの濃度をあげる療法を行っています。
それについて、何回かに分けてご説明しましょう。

うつ病のセロトニン仮説

うつ病は、脳の中にあるセロトニン神経の活性が低下して、その神経細胞の末端から放出されるセロトニンの量が低下するため 起きると考えられています。

セロトニン神経細胞の核は、脳の一番奥深く 中央部分の正中部にあって、 そこから軸策という繊維が大脳全体に広がっています。

その軸策の末端から放出されたセロトニンは、 周囲の神経細胞に刺激を与えて、 大脳の様々な部分の活性化を司っています。

ですから、セロトニン神経の活動が低下すると大脳全体の機能が低下します。

うつ病の症状である、意欲や活動性の低下、思考力や判断力・理解力の低下、感情の落ち込み、食欲低下、睡眠障害などの全般的な機能低下が起きるのです。

うつ状態の全てをこの理論だけで説明することは困難ですが、一応うつ病と診断をして、抗うつ薬を使う場合はこの理論を前提として行うわけです。






    2006/3/15
今日、あるサプリメントを販売している会社からの依頼で講演をしました。
テーマは、最近の代替医療、統合医療、 ホリスティック医学などの情報についてでした。
だいたい最近のこれらの動きについて網羅できたと思います。
私自身、ホリスティック医学協会の理事(と言ってもほとんど活動していないので恥ずかしいのですが)、日本抗加齢医学会医学会、日本抗加齢美容医学会、日本腫瘍学会、日本うつ病学会などなどに加盟していて最近の医療のすさまじい変化の先端の情報に触れているので、現在の医療の問題点と近未来の医療の方向性などについてお話ができたと思います。
またその会社が扱っている商品は、マイナス水素イオンというものなのですが、おそらくその最先端的なサプリメントを用いた療法を行っているのは、まだ私くらいかな?
強力な抗酸化効果のあるものです。
その臨床例についても報告しました。
現代医学ではどうにもならないことでも特殊なサプリメントで結構な成果を出せるのです。
次回は、各学会のURL紹介しますので、
チェックしてみてください。





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